第41回招聘セミナー 社会人学生のためのケースメソッド教授法 生涯学習論の視点から 佐野 享子 氏 筑波大学 大学研究センター助教授 2004年 9月3日(金) 午後2時 名古屋大学東山キャンパス 文系総合館7階 オープンホール
講演要旨
本報告では、生涯学習論の視点と報告者の社会人大学院(MBAコース)での授業体験、および日本の大学ではじめてケースメソッドを導入した慶応義塾大学経営管理研究科(KBS)での授業分析から得た知見等をもとに、社会人学生を対象にしたケースメソッド授業をいかに行うべきかについて考えてみたい。
ケースメソッドは、経営者・管理者の育成というきわめて現実的な教育目的を実現するため、米国のハーバードビジネススクール(HBS)で20世紀の初頭に開発された授業方法である。具体的には、ケース教材(経営の事例が記述された冊子)をもとに、クラス全体で討議をしながら授業を進める形態をとる。HBSにおけるケースメソッドの特質は、(1)現実の重視、(2)一般論よりも個別論の重視、(3)社会人学生の経験の重視、の3点である。すなわち、企業で生じた現実に基づいて執筆されたケース教材を素材に、討議を通じた人間相互の関わりの中から、個別の経営課題をいかに解決するかの疑似体験を積むことによって、経営者としての意思決定能力を育成することをねらいとしている。
こうしたHBS式ケースメソッドの流れを汲む授業実践の典型としてみなせるのが、高木晴夫教授がKBSで担当しておられる「組織マネジメント」(2003 年度春)である。ケース分析、グループ討議、クラス討議という順で進められるこの授業では、討論の仕方を授業の冒頭で実体験すること、限られた時間の中で情勢が変化するもとでの意思決定を疑似体験すること、をおもな特徴とする。教師は社会人学生に対し、ケースの主人公(経営者の立場)になって考えさせ、意思決定は人によって変わりうることを示唆しつつ、さらに個別論を重視した意思決定を促し、段階を踏んで意思決定能力を身につけさせることに重点を置いている。
なおかつ、高木教授の「組織マネジメント」の授業で重視されている「実践知識」(理論だけで尽くせない現実のマネジメントに職能横断的に要求される英知)は、参与観察の結果、a.(理論知識で記述された)マネジメントの事象は現実ではどうなるのか、b.現実にどうマネジメントしているか(ねらい、場面、順序、配慮事項等)、c.現実に何が問題になるのか、d.自分ならどうマネジメントするか、という問いかけを通じたイメージトレーニングによって養われていることが確認された。
一方、成人教育論(アンドラゴジー)では、成人学生の「経験」をもとにかれらの自己アイデンティティを引き出し、自尊感情を大切にすることが学習上有効であるとされている。HBS式ケースメソッド授業の有効性を成人教育論の視点から捉え返せば、ケースメソッドによって学習者の経験をもとにしたシミュレーション等の柔軟な思考の育成が可能となる点が指摘できる。その他、直面する経営上の問題に対処して自己決定を行う能力の育成、多様な職業的バックグラウンドを持つ集団での討論による自己省察的学習、経営の現実に即した真の学習ニーズの掘り起こし等に有効性を発揮すると考えられる。
しかしながら、HBS式ケースメソッドを応用した授業をいかにして成功させるかについては課題も多い。量的にも質的にも多様な経験を持つ社会人学生を対象に、どのように最適なケースを選択し、それらのケースを授業のどの段階に適切に配置するのか。これらの問題の解決については、授業実践の蓄積と研究に待つところが大きい。また、ケースメソッド教授法の経営教育以外の分野への応用の有効性を検討することも今後の課題である。