名古屋大学 高等教育研究センター

第1回インターナショナルセミナー 「日本の大学における一般教育の変遷」 −新しい「教養」教育の方向性− 土持 法一 氏 センター客員教授 1999年 3月2日(火) 名古屋大学 グリーンサロン東山ミーティングルーム


■ 講演要旨

はじめに
 文部省の大学審議会は、1998年10月26日「21世紀の大学像と今後の改革方策についてー競争的環境の中で個性が輝く大学ー」の答申をおこない、その目玉のひとつに「課題探究能力の育成」をあげている。これは「自ら学び、自ら考える」の育成を目指している初等中等教育を基礎とし、「主体的に変化に対応し、自ら将来の課題を探究し、その課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的な判断を下すことのできる力」(課題探究能力)の育成である。

 「課題探究能力」を育成するには、どのようにすれば良いのだろうか。これまで一方的に課題が与えられ、結果のみが重視されてきた大学で、どのようにしたら自主的に課題を探すことができるのだろうか。これは新制大学の特色のひとつであった「一般教育」にもとづくリベラル・アーツ教育とも深く関連しているように思われる。すなわち、「総合的な判断力」の育成は一般教育の重要な役割であったと思われる。

 一般教育は「教授法」とも不可分の関係にある。なぜなら、専門教育と異なり、そこでの学生は問題意識も乏しく、必ずしも関心をもっているとは限らない。そのような学生に専門領域への興味を与え、適切に指導するには「教育方法」の改善が強く望まれることはいうまでもない。旧態依然の講義形式の授業形態を改善することなしに、表面的な制度「いじり」をしても何ら抜本的な改革にはつながらない。

 新制大学がスタートした翌年の1950年、文部省は第二次米国教育使節団のために作成した報告書『日本における教育改革の進展』第4章「高等教育の改革」の「新制大学の性格」のなかで、新制大学を特色づける新しい性格を「一般教養」を重視することであると位置づけている。それから40数年後の1991年、大学設置基準が大綱化され、その「一般教育」が解体され、制度上から消滅した。実は、1951年9月の大学基準協会編『大学に於ける一般教育ー一般教育研究委員会(最終)ー』の報告書のなかには、すでに多くの問題点および改善点が指摘されていたが、そのほとんどは省みられなかった。

 本発表では、なぜ、「一般教育」は新制大学において定着しなかったのか。どこにその問題点があったのか。結論から先に述べれば、新制大学における「一般教育」は旧来の制度のうえに、新しいアメリカ型の「一般教育」の理念を性急に重ね合わせたもので、そこには制度と理念の乖離があった。その結果、「一般教育」の衰退あるいは形骸化に繋がったことを重視した。

1.高等教育制度の再編成
2.戦後高等教育改革と一般教育
3.一般教養科目の導入過程
 1)大学基準協会の設立過程
 2)大学基準協会と「一般教養科目」
 3)一般教育と専門教育の関係
 4)一般教育科目の配置方法
4.大学基準協会と教育刷新委員会の関係

おわりに
 1)1956年「大学設置基準」の制定
 2)1991年「大学設置基準」の大綱化
 3)大学審議会答申「課題探究能力の育成」ー新しい「教養」教育の方向性

 周知のように、大学審議会「21世紀の大学像と今後の改革方策について」の答申では、一般教育を「教養教育」という名称に変更し、これからの教養とは何かを問うている。そこでは社会の高度化・複雑化等が進むなかで「課題探究能力」の育成が重要であるとの視点に立ち、「学問のすそ野を広げ、様々な角度から物事を見ることができる能力や、自主的・総合的に考え、的確に判断する能力、豊かな人間性を養い、自分の知識や人生を社会との関係で位置付けることのできる人材を育てる」という教養教育の理念・目標の実現のため、授業方法やカリキュラム等の一層の工夫・改善と教員の意識改革が必要であると提唱している。もちろん、教養教育と専門教育の有機的連携の確保が重視されていることはいうまでもない。