コラム:泣いて捨てることを学んだ私




 実際に授業をするより、講義ノートを作るほうが好きという人は多いのではないだろうか。かく言う私がそうである。だって実際の授業はうまくいかないことが多いんだもの。こういうタイプの教員が陥りがちな失敗に、準備した講義内容にあまりにたくさんのことを積めこみすぎて、実際の授業ではその半分も話すことができない、ということがある。これはフラストレーションがたまりますよ。この失敗は、講義内容をあまりにdiscipline-orientedに組み立てようとしていたことからくるものだ。「この問題に触れるなら、こっちにも触れなくちゃ。そうしたら、当然この事例を使うことになるから、ついでに、その例についての最新の話題も盛り込んで、そうなると前提にこれを押さえておかなくては…」という具合に「講義内容」は雪だるま式に膨らんでいく、そうして厄介なことに、われわれは教師であると同時にその分野の学習者であり研究者でもあるので、こうした作業はけっこう好きだったりする。discipline-orientedな「あれもこれも伝えたい」欲求は、ぜひ、良い教科書を書くという作業で昇華させて、個々の授業の組み立てを考えるときは、準備段階で膨れ上がった内容からバサバサと切り捨てて(このときは泣きましょう)、学生の理解の進み方に沿った構成を心がけるべきだろう、と偉そうに書いているけど、これは自戒。
(情報文化学部・戸田山和久)