コラム:SF「電話帳の『謎』」




 1990年代半ばから、ニホン国全域で大学の一般教育科目の講義要綱(どういうわけか「シラバス」と呼ばれた)の類が軒並み肥大化するという奇妙な現象が生じた。学生数の多い大学では、それはゆうに600ページを超え、持ち運びに支障をきたしたばかりではなく、必要な情報を引き出すためにもどこをどう読んだらよいのかわからないという事態を引き起こした。当時の森林資源の危機的状況からすると使い捨ての情報供給手段にこのような「書物」(21世紀ごろまで使われていた情報伝達手段の一種)という形態をあえて選択したことはわれわれの理解をこえるものがあるが、ここではそれを問題にはしない。問題はその不合理なまでの厚さにあった。これら「シラバス」はその分厚さのゆえに「デンワチョウ」(語義不明)と呼ばれるようになった。しかも、中身の「授業内容」の項目などは、判で押したように毎回の授業のテーマが箇条書きになっているという無気味な共振現象も同時に存在した。
 2000年代に入り、ある大学で新入生同士が喧嘩になった際に、お互いデンワチョウで殴り合うという事件が発生し、デンワチョウの思わぬ凶器としての使用法が明らかになったことから、徐々にこうした肥大化傾向は終息するに至った。現代では以上は20世紀末ニホン国の大学における最大の謎とされている。
 原因はどうやら、誰かが、北アメリカ地域の大学で当時「シラバス」と呼ばれていた、コースの初めに教員がクラスに配布する詳細な文書と、「Bulletin」とか「Course description」と呼ばれる、その年度に大学で開講されるすべての授業の内容を簡潔にまとめた冊子(当然のことながら、これは凶器にはならない)とを取り違えたことによるものらしい。これが誰なのかは歴史家による今後の研究に待たれる。しかし、現代のわれわれを真に震撼させるのは、この間違いが何ら正されることなくニホンのすべての大学に瞬く間に広がったという事実である。私はこの事実こそ、真にデンワチョウの「謎」と呼ばれるべきであると考える。
(情報文化学部・戸田山和久)