コラム:「障害」のとらえ方

 このティップスを作るにあたって、海外、とくにアメリカ合衆国で刊行されているいくつかのティップスを読んでみた。しかし、思ったほど参考にならなかったのだ、実は。というのも、大学をめぐる制度、アカデミック・フリーダム、学ぶ権利、カリキュラムについての哲学の有無、財政や人事についての条件など、ティップス以前の基本的条件が違いすぎて、そのまま日本の大学ですぐに適用できる項目があまりに少なかったからだ。

  このことは、とりわけ障害者の迎え入れについての記述の際に思い知った。日本で「障害学生」という語で思い起こされるのは、視覚障害、聾あ、運動障害などなどのフィジカルな障害を抱えた学生だろう。しかし、アメリカのティップスの多くが、学生の障害のもうひとつの大きなサブカテゴリーとして、メンタルな障害、たとえばdyslexia(読書障害・失読症)や注意力・集中力の持続に関する障害、つまりいわゆる学習障害を扱っている。

  日本で、長い文章を読むことが困難な学生を大学に迎え入れて、いかに学習環境を整えるかという発想が、そもそもこれっぽちもあるだろうか? というわけで、ティップス作りを通じて、すっかりわれわれの置かれた現状がイヤになってしまったわたしなのである。