コラム:「仏」教師が大学を成仏させる

 言うまでもなく、「仏」教師とは単位の認定基準がたいへんに甘い教師のことを言う。私はかつて、赴任したばかりの鼻息の荒いころに、新入生向けの講演で、学生に媚びる「仏」教師とそれに甘える学生との悪循環で大学は愚者の楽園になりつつある、などと発言して、アンケートに「シニカルでヤな感じ」と書かれたことがある。こうした悪循環が大学をだめにするという考えじたいはいまでも変わっていないけれど、教師が「仏」になりたくなる原因と、学生は「仏」教師を望んでいるばかりではないということはわかってきた。

 教師が「仏」になるのはなぜか? だって楽だもの。授業を手抜きしても、成績評価をいいかげんにしても、成績を甘くしてさえいれば学生からは文句は出ない。

 では、学生は「仏」教師を望んでいるか? どうやらこれはそうではなさそうだ、ということがわかってきた。彼らはちゃっかりしているので、もちろん「仏」教師の単位はしっかりいただく。しかし、彼らはそういった教師を要するに怠惰な臆病者だと内心バカにしている。かといって、もちろん「鬼」教師がお望みなのではなく、彼らが欲しているのは、ごく当たり前に評価をするふつうの教師である。

  というわけで、現在はふつうの教師たらんとしているわたしですが、年をとってくると徐々に「仏」化するかもしれない。そのときは、人格が丸くなったのではなく、疲れたのだと考えてください。