1.1 大学は「知の共同体」である
「何のために学ぶのだろうか」と考えたことは、誰でも一度や二度はある
のではないでしょうか。しかし、あえて言いましょう。この問いの立て方は
そもそも間違っていると。病気を治すために薬を服用している人のほとんど
は、薬を飲むことそのものに価値をおいているわけではなく、それによって
得られる健康の方に大きな価値をおいています。だから、その薬が病気に効
かないことがわかったとしたら、その人は薬を服用するのをやめるでしょう。
これと同様に、冒頭の問いは、学ぶことをそれとは別の何らかの価値あるも
のに至るための手段であると位置づけているわけです。そうでなければ、こ
うした問いはそもそも成り立ちようがありません。
しかし、この考え方は、こと大学での学びのあり方については当てはまり
ません。なぜなら、大学というところは学ぶことそのものに価値を置く人々
の集まりだからです。言い換えれば、大学は「知の共同体」といえるでしょ
う。つまり社会的地位の向上とか、他者からの尊敬を勝ち取ることといった、
何か別の目的に役立つから学ぶのではなく、学び、発見すること自体がもっている楽しさ、わくわくする気持ち、達成感のためだけに学ぶ。こうした学
びの魅力、あるいはむしろ魔力にとりつかれた人たちの集う場所、それが大
学の本来の姿です。あなたは、こうした「知の共同体」の入り口に立ってい
るわけです。
大学のルーツは?
大学が発生したのは12 世紀のヨーロッパです。「設立」ではなく「発生」
であることに注意してください。12 世紀になると、それまでイスラム圏でア
ラビア語に翻訳されて伝承されていた、古代ギリシア・ローマの学問をヨー
ロッパに再輸入する動きがさかんになってきました。当時、そうした最新モ
ードの学問を学びたいという人たちが集まって勉強会のようなものができて
きます。つまり、大学は自ら学ぼうとする人々が自発的につくった共同体と
して始まったのです。
その後、時代の変化に伴って、大学にはいろいろな目的が付加されるよう
になりました。専門職エリートの養成、富国強兵、官僚養成、産業界や地域
社会への貢献などです。しかし、大学が、知ること・学ぶことそのものに価
値を見いだす人々の「知の共同体」でなくなったことは一度もありませんで
した。
ところで、あなたは深夜や休日の名古屋大学を訪れたことがありますか?深夜になっても数多くの窓に明かりが灯されていることがわかるでしょう。また、休日の大学にも多くの教員や学生がいることがわかるでしょう。
なぜ深夜や休日まで大学に残っている人がいるのでしょうか。もちろん、誰かに強制的に働かされているわけではありません。また、お金を儲けるために働いているのでもありません。彼らは自分から進んで深夜や休日も研究するために大学に足を運んでいるのです。では、何が彼らを駆り立てているのかというと、簡単にいえば「知への愛」というべきものに集約されるでしょう。
世の中を見渡してみてください。学ぶこと自体が目的であり価値であるよ
うな、こんなユニークな場所が大学以外にあるでしょうか。あなたは、こう
いう共同体でこれから数年間を過ごすわけです。これは考えてみれば、とて
つもなく貴重なチャンスです。
「大学生は「生徒」ではない」
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