2.1 「知の共同体」に集うわたしたちが倫理を必要とするわけ
「大学は自由な場である」
よく耳にすることばですね。そのとおりです。でも、これは大学では何をしても許されるのだ、という意味ではありません。
「大学では自由な発言が保障されている」
そのとおりです。でもこれは、大学では人の心を傷つける発言をしても構わない、という意味ではありません。
どんなに知識が豊富でテストの点数が良くても、自分と他人の関係やコミュニティの環境を思いやれない人間は、社会では「未熟者」とみなされます。たとえば、授業中に周りの迷惑を気にせず私語にふけっている人、図書館の本に線を引いている人、混雑した道で歩き煙草をふかしている人、点字ブロックの上に駐輪している人。それらは人間として本当にみっともないことです。自分の行為が他人にどのような影響を与えるかを想像する能力がないことを公に宣伝しているようなものですね。
大学は社会に存在するコミュニティの一つであり、学生や教員、職員などさまざまな人びとで構成されています。だから、そこに集うわたしたちにはちょっとした約束事のようなもの、つまり「キャンパスの倫理」や「共同体のルール」のようなものが必要になってきます。このように言うと、なんだ、お説教かと思う人もいるかもしれません。でも、煙たがらずにちょっとだけ耳を傾けてください。このことを知っておくと、今よりもずっと知的で豊かな大学生活を送ることができ、「学識ある市民」にふさわしい振る舞いができるようになるからです。
キャンパスの倫理には、他人に気持ちよいあいさつをするとか、他者へのさりげない配慮を怠らない、自分の甘えを他人に押しつけないなど、大人としての良識ある振る舞いが含まれます。このほか、教室やキャンパスを美しく保つ、ゴミの始末をする、喫煙場所を守る、図書館などの共用施設や設備を大切に使う、自転車やバイク、自動車の交通ルールや駐車ルールを守る、など暗黙の(当たり前の)約束事があります。
冒頭で触れた「大学の自由」は、こうしたキャンパスの倫理に基づくものでなくてはなりません。あなたが他者を自分と同じくらいに尊重して、あなたと他者を結び付けている関係を大切にする。それらができて初めて、自由に考え、自由に行動し、自分の意見を自由に他者に伝えるという「大学の自由」を享受することができるのです。今まさに「知の共同体」に加わろうとしているあなたに、大学の自由の本当の意味とそのために必要な倫理について知っておいてほしいのです。それでは、「キャンパスの倫理」について順に紹介しましょう。
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