10.1 すべての学生の学習環境を守ろう
10.1.1 多様な学生が存在している現実を直視しよう
「多様な学生」だって? そんなのはアメリカとかオーストラリアだとか、多民族・多文化主義的色彩の濃い国に特有の問題であって、日本の大学には関係ないんじゃないの?と思っていませんか。よーく意識して、学生たちを見回してみましょう。男性がいる。女性がいる。さまざまな文化圏からの留学生がいる。都会育ちがいる。地方出身者がいる。在日韓国・朝鮮系の学生がいる。年輩の学生がいる。既婚者がいる。障害者がいる。病気をもった学生がいる。裕福な学生がいる。貧しい学生がいる。有名校の出身者がいる。そうでもない学生もいる。きっと妊娠中の学生もいるだろう。ゲイやレズビアンの学生もいるだろう。学生の多様性が見えないのは、自分がそれを見ようとしなかったからだということに気づくでしょう。
大学人は、自分たちが世の中で最も開かれて進んでいる存在だと考えたがるものです。しかし、大学も社会の一部ですから、その実態は外の社会と五十歩百歩だと考えるべきでしょう。これだけの多様な背景をもつ人間が集まってくれば、キャンパスでは当然、さまざまな葛藤や差別が生じてきます。大学には差別なんてない!と考える人は、「あってはならない」と「あるはずがない」とを混同しているか、大学内に厳然と存在する多様性にも差別にも気づかないおめでたい人であるか、のどちらかでしょう。キャンパス内で起こりうるこうした差別をどう減らし解消していくかは大きな問題です。おそらく根本的には、キャンパス内の差別全般を学問の精神に反するものとして断固防止するという姿勢を、大学の基本方針として制定するところからスタートすべきでしょう。そして、近ごろ、あちこちの大学で制定され始めたセクシュアル・ハラスメント防止ガイドラインの類も、こうしたポリシーの一環として位置づけられるべきだろうと思います。
大学がこうしたポリシーをきちんと明文化し、適切なセンターや委員会を設置し専門スタッフを置いたり、カリキュラムに多文化主義、反差別的なコースを盛り込んだりしてそのポリシーをきちんと現実化していくように働きかけることは、私たち教師の重要な社会的責任です。しかし、このティーチング・ティップスという性格上、ここでは教員が授業などを通じた日々の学生との接触の中で、どのような点に注意していけばよいか、という、今日からでもできる足もとの点検作業に限って話を進めることにしましょう。
10.1.2 マイノリティ学生の学習環境を守るための基本方針
ここで言う「マイノリティ」とは、数の多寡を意味するものではありません。キャンパス内外に存在する差別的な構造のために、本人の責任ではない事情によって、大学生活・学習上のさまざまな不利益を被っている、あるいは被りうる学生のことを指すものとします。教員がまずなすべきことは、こうした不利益を最小限に減らし、学生の学習権を守るための努力をすることです。そのための基本的な方針を、以下に揚げることにしましょう。
1. マイノリティ学生の抱える不安を理解しよう
マイノリティ学生の抱える心理的問題をひと言で表現するならば、「わたしはここにいてよいのだろうか」「わたしは本当にこの大学(クラス、セミナー、サークルなど)に受け入れられているのだろうか」という不安だと言うことができます。この傾向は留学生や障害者学生に限られるものではなく、多くの学生に多かれ少なかれ見られます。とくに、偏差値による等級づけや高校の序列化は、驚くほど一般学生の不安傾向に影を落としているようです。たとえば、学業成績上の問題を抱える学生と面談すると、かなりの割合で、「ぼくなんか○○みたいな有名高校の出じゃないから」とか「わたしはあまり勉強できないし、この大学にいていいのかなと思う」といった発言が飛び出します。こうした不安感を取り除き、大学への帰属感を高め、自信をもたせることが、マイノリティ学生のみならず、すべての学生にとって学業上の成功をもたらす必要条件だと言えるでしょう。ですから、教員は、大学においては多様性は禁じられ抑圧されるものではなく、尊重されるべきものだ、というメッセージを、常に伝える必要があります。
次に、このために教員になにができるかを、具体的場面に即して考えていきましょう。
2. 個人として尊重されるということを伝えよう
マイノリティ学生を最もいらだたせ傷つけるのは、ステレオタイプ化です。偏見にもとづくネガティブなレッテル張りはもちろん論外です。しかし、障害者学生を「障害にもめげず頑張る素直で純粋な心のもち主」、高齢の社会人学生を「酸いも甘いもかみ分けた長老」とみなすのも、ポジティブなレッテルだからよいではないかと思いがちですが、現実離れした自分らしくない行動パターンを勝手に期待されるわけですから、不愉快なものになることがありえます。また、セミナーの世話役的な役割をもっぱら女子学生に指名するということも、ステレオタイプ化のひとつの現れということになるでしょう。たとえば、次のことに気をつけましょう。
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学生に意見を求める場合、まずは彼/彼女が属する社会集団の代表としてではなく、個人としての見解を求める。つまり、「中国からの留学生としてどう思いますか」ではなく、「○○さん、あなたはどう思いますか」と尋ねる。その上で、彼/彼女が「わたしは中国人として……と思います」と答えるなら、その見解はクラスのほかの学生の見方と異なっていても(異なっているがゆえに)尊重されるということを伝える。
- 学生の評価を、ほかの学生との比較ではなく、コースの内容をどれだけ理解できたか、あるいは開始時にくらべてスキルがどれだけ向上したかという観点で行うように努める。
重要なのは、学生を個人として尊重するということと、個人の属する社会集団やその他の属性の違いを無視してすべての学生に対して一律にニュートラルな態度をとる形式主義とは異なるということです。学生に伝えるべきメッセージは、むしろ次のようになるでしょう。
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大学においては、あなたはまず第一にひとつの社会集団やひとつの属性に還元されないあなた個人として尊重される。
- そして、大学はあなたの属する社会集団の価値(聾唖文化、さまざまな民族の文化、ゲイ文化などなど)もやはり尊重する。それは、大学ではあなた個人が尊重され、こうした価値はあなたが大切にする価値のひとつだからだ。
- ○○人であること、障害者であることなどといったひとつの属性のゆえに、あなたが個人として尊重されないことがあるとしたら、そうしたことがなくなるように、大学は努力を払うべきである。
3. あなた自身がもっているバイアスやステレオタイプに敏感になろう
自分は教養のある「大学教師」だから、差別的態度とは無縁だと思い上がってはいませんか。たとえば、次のような発言をしたことは一度もないと言えますか?
- (既婚女性の大学院生に)いいですよねえ、あなたは就職の心配がないから。
- 君は○○高校から来たの。じゃあ、優秀なんだねえ。
- だって、あの人はバツイチだから……。
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○○の悪影響が、まるでエイズのようにあっという間に広がって……。
- 女子学生だけ「ちゃん」づけで呼ぶ。
むしろわたしたちは、自分のもつ差別的バイアスを自覚して、そこから脱するのがいかに難しいことかということを認識し、大学教師だからこそ、自分の意識的・無意識的な差別的態度が与える社会的影響が大きいのだ、と考えるべきでしょう。
すでに述べたように、マイノリティ学生は大学というコミュニティに自分が受け入れられるかどうかについて、強い不安をもっています。そのため、あからさまな侮辱・軽蔑や敵意の表明、無視などがなくとも、学生はあなたの言動や態度のちょっとした手がかりから、自分は受け入れられていないというサインを見いだしてしまいがちです。場をなごませようとして言ったジョークが、ひょっとしたらある学生の孤立感を深める結果をもたらすかもしれないということに注意すべきです。
4. 教材の選択に敏感になろう
教師のもつバイアスやステレオタイプの影響力が最も大きくなるのは、やはり授業中での発言でしょう。講義ノートや教材を準備し終わったら、それを次のような観点から一度チェックしてみることをおすすめします。
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ジェンダー、人種、民族、宗教などに関するステレオタイプを含んだ事例、例文、練習問題などはありませんか? たとえば「太郎はCD-ROMドライブを買い、花子はぬいぐるみを買いました」のたぐいです。
- そうしたステレオタイプやバイアスを含む項目への言及は、授業の展開の上でどうしても必要ですか?
- 必要な場合、そのステレオタイプやバイアスを是認し、拡大するつもりがないことを学生にきちんと伝えるための手だては考えてありますか?
たとえば、初期の人工知能研究者が取り組んだパズルのひとつに「人食い人種と宣教師」という、とんでもなく植民地主義的なセッティングをもったものがあります。ここで、人工知能について語る際には、歴史的に重要なこの問題に言及しないわけにはいかないと判断したとしましょう。しかし、ここが重要なのですが、あなたが特定の人種ないし民族を侮辱する意図はまったくないとしても、そのことによって、教室でひと言のコメントもせずにこのパズルを扱うということが教育上妥当な選択とされるわけではありません。わたしたちは、教師としての仕事においては、徹底して「意図」ではなく「効果」を考えるべきです。留学生の中にも日本人学生の中にも、おそらくこのパズルに強い不快感を感じる学生がいるでしょうし、キャンパス外で実際にそのような言葉によって侮辱された経験をもつ学生もいる可能性すらあります。そのため、学生は「この先生は人種差別や民族差別について鈍感なんだ。だから信頼してはだめなんだ」と判断し、クラスで疎外感と不安を深め、大学への帰属意識を失ってしまうかもしれません。
では、どうすればよいか、と言えば、このパズルに言及する際に、たとえば「私はこのパズルの設定は不愉快に思う。でも、これは人工知能の歴史の上で重要だから扱うことにする。わたしと同様に不愉快に感じる人もいるだろうが、がまんしてほしい」と宣言すればよいのです。
以上は、あなた自身が用意する教材や授業中の発言だけではなく、あなたの担当するセミナーで、学生やTAが作る資料や発言にも当てはまります。学生やTAが明らかに偏見にもとづく差別的な叙述や発言を行ったにもかかわらず、それを教師が無視しているならば、マイノリティ学生にとっては、あなた自身がそうした発言をしたのと同じ効果をもたらしてしまいます。このような場合、当の発言を行った学生を「悪者」扱いせずに、その不適切さを指摘したり、あるいはディスカッションの題材にしてクラス全体で考える機会を設けるといった対応をとる責任が教師には生じます。
10.2 留学生の学習を支援するためのティップス
10.2.1 個々の留学生のもつ文化的背景を理解しよう
大学にやってくる留学生は、さまざまな文化的・宗教的背景をもっています。大学教師やスタッフの側にこうした背景に対する理解が欠けている場合、いろいろなトラブルの原因となり、ひどい場合はそれが留学生個人の性格や生活態度に起因するものとされ、「問題学生」のレッテルを貼られてしまうことにもなりかねません。たとえば、待ち合わせの時間を厳格に守ることを要求する文化圏もあれば、そうでない文化圏もあります。また、著作物などに対してオリジナリティを非常に重視する文化圏もあれば、そうではない文化圏もあります。後者の文化圏から来た学生の場合、複数の学生がまったく同じ内容のレポートを提出したり、すでに出版されている著作物からの引用だけからなるレポートを書いたりします。しかし、彼らはそうしたことを禁じる圧力の弱い文化圏から来ているため、教師が「盗作だ」「剽窃だ」と目くじらを立てても、いったいなにがいけないんだかさっぱりわからない、という事態が生じます。こうした行き違いは、双方にとってとても不幸な結果を生みます。それを避けるために、次のような点に注意すべきでしょう。
- 留学生との文化衝突を避けるために、あらかじめ学習をする。留学生と教師、スタッフ、日本人学生との間に生じがちな文化衝突の具体的事例を解説した書物もいくつか出版されています。一読しておけば大変役立ちます。
- 留学生とは個人面談を欠かさず行う。日本人学生にはあえて言わずにすますことができることでも、重要だと思われる点については、個別に説明を行うようにしましょう。
- しかしながら、ダブル・スタンダードになってはいけない。留学生の文化的背景を「理解する」ということは、いついかなる場合でも彼らを特別扱いして彼らのやり方に合わせる、ということではありません。たとえば、「このレポートの目的は、いくつかの資料を題材にして、間違っていてもよいから、自分でひとつの結論を論理的に導くことができるようになることにあるんだ。本からまるごと引用してしまってはこの目的を果たすことはできない。だから……」というぐあいに、相手の背景を踏まえた上で説明を行い、教師の決めたルールに納得ずくで従ってもらうというような方法を採るべきです。
- 留学生センターと連絡を取り合う。留学生が大学内外でどのような生活をしているのかの全体像は、授業を通しての彼らとのつきあいからはなかなか見えてきません。留学生の生活とそこで生じる問題については、大学にある留学生センター(あるいはそれに類似した組織・スタッフ)に蓄積されている情報とノウハウが参考になります。
10.2.2 留学生のレディネスについて十分に調査をする
日本の多くの大学では、留学生を受け入れても、残念ながら受け入れっ放しの傾向が見られます。たとえば、日本語の能力試験は課されますが、彼らが本国でどのような高校教育を受けてきたのかまでは、きちんと調査されません。その結果、本国で英語をまったく学んだことのない留学生が、いきなり日本人学生といっしょに英語のクラスに放り込まれるというようなことが起こります。もちろん、こうした事態の改善には、留学制度そのもの、留学生入試制度、単位認定制度、カリキュラムなどの見直しが必要でしょう。ここでは、現状をとりあえず踏まえた上で、受講生名簿に留学生の名前を見つけた個々の教師になにができるかを考えます。
まずは面接をする。そこで、
- 日本語を聞き、読み、書く能力はどのくらいかを調査する。ノートをとることができるか。レポートを日本語で書けるか。参考文献を読むことはできるか。
- 授業で必要とされるその他の知識・能力についてレディネスを確かめる。英語は高校で学習してきたか。数学はどのようなことを、どの程度学んできたか、などなど。
- その他の学習上の困難はあるか。教科書をそろえる経済的余裕はあるか。コンピュータは利用可能か。学習に十分な時間を割くことができるか。地域の図書館は利用可能か、などを確かめる。
- もし以上の面接で、日本人学生と同様の課題や評価を行うことに耐えられないのではないかと思われる場合、いくつかの選択肢を用意する。たとえば、レポートを日本語以外の言語で書いてもよいとする、読書課題を変更する、特別の課題を与える、など。
- コースが始まってからも、ときおり、学習上の困難はないかどうかを尋ねてみる。
10.3 障害をもった学生の学習を支援するためのティップス
障害をもつ学生の学習環境をできるだけよいものにしておくのは、私たち自身のためでもあります。なぜなら、自分の研究している学問分野の価値とすばらしさをできるかぎり多くの能力と意欲のある学生に伝えることは、私たちの喜びであると同時に、ほかならぬ自分自身がいつ障害に苦しむようになるかわからないからです。理想を述べるならば、障害者学習支援センターのような組織を大学内に置いて、専門のスタッフを置くべきです。たとえば、スタンフォード大学にはDisability Resourse Centerという部署があります。ここでは、障害をもった学生の学習を支援するための教材作り、情報提供などを行っています。具体的には、教科書の朗読録音、ノートとりの支援、手話通訳、学生のキャンパス内移動のための手助け、適切な住居と教室の手配などを行っています。
彼我の差にため息が出ますが、ここでも、今日できることから始めるというこのティップスの基本精神にのっとり、いくつかの提案をあげておきましょう。
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障害のあり方は千差万別だということを忘れない。学生の障害の程度、学習支援を要する程度は、人によってまったく異なりうるということを常に念頭に置きましょう。したがって、統一的基準の機械的な適用ではなく、学生、事務スタッフ、教員を交えた事前のきめ細かな対話が必要になります。
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授業の参加者の中に障害をもつ学生がいることを知ったら、すぐにその学生に対して、改善の必要な点についてはいつでもすぐに申し出るように促します。
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教室をチェックします。車椅子の学生が出入りするのに支障はないか、弱視の学生はどこに座れば黒板が見やすいか、どこをその学生の指定席にすべきかどうか、などを調べ、問題があれば教室の変更を願い出る必要があります。
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視力に障害のある学生が参加している場合、もしハンドアウトやOHP、板書を使って授業を行うつもりなら、書いてあることを読み上げる必要があります。弱視の学生がいれば、ハンドアウトなどを拡大コピーしてわたします。
- 聴覚障害の学生のためには、講義ノートをプリントしてわたす、読唇術を身につけた学生であれば常に前を向いてゆっくりふつうに話す(叫んだり、おおげさにすると、かえってわからない)といった配慮が必要です。
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課題などを免除して特別扱いされているという意識を学生にもたせるのはすすめられません。レポート作成などの課題をこなすことが難しいと考えられる場合でも、代わりに口頭試問を行うなど、その学生と相談の上、なんらかの課題にチャレンジする機会を与えるべきです。
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TAを要求することも考えましょう。ノートとりの補助、朗読テープの作成などを頼むことができるでしょう。
10.4 セクシュアル・ハラスメントは問題外だ!
10.4.1 まず、セクシュアル・ハラスメントとはなにかをよく知ろう
たとえば、名古屋大学のガイドラインでは、次のような事例が大学におけるセクシュアル・ハラスメントの典型例とされています。
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暗黙のうちにまたははっきりと、学業成績の評価、研究指導、人事評価などにおける、就学上・就労上の利益または不利益を条件として、性的な誘いかけを行うこと
- 性的な言動もしくは要求に対する態度(服従、抵抗、拒否等)により、学業成績の評価、研究指導、人事評価などにおける、就学上・就労上の利益もしくは不利益を与えること、またはそれを示唆すること
- 性的な言動または性的な画像・文書の掲示、提示などにより、不快な生活環境を生み出し、そのことにより、個人の人格や尊厳を傷つけること
これに加え重要なことは、
- セクシュアル・ハラスメントの成立は、行為者がそれを意図したか否かにかかわらないとされていること
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男性から女性に対してだけでなく、女性から男性に対して、あるいは同性同士の間にも起こりうるとされていること
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職員と学生の間だけでなく、職員同士、学生同士の間にも起こりうるとされていること
などです。
セクシュアル・ハラスメントを防止し、不幸にしてそれが生じてしまったときに適切に対処するためには、まずあなた自身がセクシュアル・ハラスメントに対する感受性を高めることが重要です。
現在、多くの大学でセクシュアル・ハラスメント防止・対策のためのガイドラインを制定しています。とにかく、まずあなたの大学ではどのようにセクシュアル・ハラスメントが定義され、どのような相談体制、苦情受けつけ体制、調査体制、防止体制が定められているかをよく理解しましょう。
10.4.2 あなたが加害者にならないために
1. 教師であるあなたと学生との間には地位と権力に大きな非対称性があることを忘れないようにしましょう
セクシュアル・ハラスメントについてときおり耳にするのは、「教師と学生といっても、両方とも立派な成人ではないか、大人同士の同意に基づく恋愛関係まで禁じようと言うのか?」という意見です。しかし、次の点に注意を忘れてはなりません。望むと望まざるとにかかわらず、教師は教師であるだけで、学生に対して一方的に大きな権力をもってしまうということです。当事者の一方が、もう一方に対して、成績をつけたり、大学や学会に所属しつづけられるかどうかについて大きな決定権をもっていたり、キャリアを左右したりできる場合、片方が「同意」と考えているものが、しばしば他方にとっては暗黙の強制となってしまいます。または、かつては受け入れられていた行為が、時がたてば相手を不快にさせるものに変わってしまうこともあるでしょう。そのとき、当事者間に地位・権力の非対称性があれば、同様に暗黙の強制が発生します。過去の「同意」は現在のハラスメントを正当化しないということを肝に銘じておくべきです。
2. セクシュアル・ハラスメントが起こりにくい環境作りと行動様式を心がけましょう
たとえば、
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学生と研究室で面談する際には、そこが密室にならないように、カーテンを開け、ドアを開けたままにしておく。
- 性別を問わず、学生を単独で食事や飲酒に誘わない。学生と食事をする際には、必ず複数の学生と一緒にする。
- セクシュアル・ハラスメントを興味本位に話題にしたり、飲酒の席などでのジョークのネタにしないよう心がける。
セクシュアル・ハラスメントの対策を難しくしているのは、被害者のプライバシーを保護し、二次的な風評被害を防ぐことの難しさにあります。ちょっと耳にしたセクシュアル・ハラスメントの事例をおもしろおかしく話題にすることは、こうした二次被害を拡大するだけでなく、ほかの潜在的被害者が対策を申し出にくい雰囲気を作ってしまいます。学生がそうした話題で盛り上がっているところにいあわせた場合も、そうしたことを慎むように指導すべきでしょう。
10.5 学生がもちかけてくる個人的相談にどう対処するか
学生はしばしば授業内容や学習上の悩み以外のことがらについて相談に訪れることがあります。それは、進路の迷い、就職、大学院受験といったものから、家庭の問題、人間関係の悩み、金銭トラブル、人生の意味、自殺願望といった深刻なものにいたるまで、千差万別です。こうして教師は、しばしばカウンセラー的な役割を果たざるをえない状況に立たされることになります。
10.5.1 教師にできることとできないことをわきまえよう
しかし、まず第一に念頭に置かねばならないのは、あなたはプロのカウンセラーとしての訓練を受けていない、という事実です。学生がまずあなたのところにやってきて相談したということは、それだけあなたが信頼されているということでしょう。それは、確かに教師としてのプライドをくすぐるものです。でも、このことは危険な落とし穴でもあります。まず、自分にできることには限界があるということを、学生にも自分自身にもよく言い聞かせることが重要です。とりわけ、精神科医や心理療法士によるケアが必要に思われるようなケースで、「わたしが治してやる」などとは夢にも思わないことです。さらに深刻な事態に学生を追い込むことになってしまいます。
10.5.2 相談相手としての教師の役割
あなたは学生の抱える問題の解決者・治療者になることも、学生の友人や親代わり(保護者)になることもできません。教師が果たすことのできる役割は次のものです。あなたはそれに自己を限定すべきです。学生がこうした役割を超えた役割(権威をもって生き方を指示する者、あるいは友人・親・恋人の代わり)をあなたに期待する場合は、自分はそれを果たすことはできないとはっきり伝えるべきでしょう。
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客観的な聞き手:あなたの考えや価値観を押しつけることなく、「君はどう思うの」「君はどうすればよいと考えているの」と聞き役に徹することが重要です。学生が明確にアドバイスを求めた場合以外は、アドバイスを行うこともがまんしましょう。学生は、自分の問題を言葉に出して伝えようとするうちに、自分から解決を見いだしていくこともしばしばあります。
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問題の整理役:混乱した学生が自分から解決を見いだしていくのを助けるには、学生の語ったことを、より客観的な視点や明晰な言葉遣いにしてフィードバックしてやることが役立ちます。「なるほど、君は……と思っているんだけど、しかし一方で……のようにも思えてならない、ということかな?」
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選択肢の提案者:まずは学生自身に問題の解決法や行為の選択肢を考えさせることが重要です。しかし、学生の経験不足、知識不足から、これ以上の選択肢を考えつくことができそうもない、という場合、こんなやり方もあるし、こんな方法もあるというぐあいに、あなたはいくつかの選択肢を提示することができるかもしれません。
- 仲介者:学生の抱える問題があなたの手に負えないものであることが明らかになった場合、精神科医、弁護士などのプロの助けが必要になります。多くの大学で、学生相談室といった名称のもとに、こうした専門家への窓口が用意されています。こうした援助を仲介する場合、次の点に注意しましょう。
- 学生が、見放されたとか、たらい回しにされたと感じないよう、「君の問題はよくわかったし、なんとか解決してあげたいと思う。でも、私にはその能力も資格もない、これは専門家の助けを借りなければならないと思うから、○○に連絡をとることにしよう」というぐあいに、学生の状況を自分は理解しようとし、気にかけているのだということと、一方で問題は自分の手にあまるということを同時にきちんと伝えるようにします。
- 学生は、精神科医や弁護士といったプロに相談をするということじたいを、問題が大ごとになってしまったと感じて、ためらうでしょう。そうしたプロの助けを借りなければならなくなる局面は誰にでも生じうることであり、ちっとも特殊なことではないということ、またプライバシーは十分に守られることを説明し、心理的障壁を軽減してやるように努めます。
以上のような仲介者の役割をうまく果たすためには、ふだんから学生相談室などの内容としくみについてよく知っておくことが必要です。学生からの重要な相談は突然やってきます。最低限、相談室がどのような相談内容を受け付けているのか、連絡先はどこか、相談の時間帯や予約のしくみはどうなっているのかについて、知っておくことが必要でしょう。